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橋下徹の経歴や出身地を調査!大学時代の事件がキッカケで弁護士に!

橋下徹さんは政界の風雲児と呼ばれ、大阪府知事、市長を歴任し日本維新の会、おおさか維新の会の初代政党代表を務めました。

将来の総理大臣候補の一人と評されながらも、2015年の大阪都構想の賛否を問う住民選挙で否決され公約通り同年12月18日に政界から引退しました。

しかしその後もタレント弁護士、世間の注目のご意見番として複数のメディアに引っ張りだこです。

特に近年大阪府知事の吉村府知事が日本で人気急上昇しています。橋下元市長の後任であり都構想を引き継ぐ、大阪維新の会吉村知事との深い関係が更に注目されています。

近年また総理大臣候補?との呼び声が上がる橋下徹さんの経歴や出身地や大学時代の事件とは?をリサーチしていきます。

橋下徹さんのプロフィール

 

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名前:橋下 徹(はしもと とおる)

生年月日:1969年6月29日(50歳)

出身地 東京都渋谷区幡ヶ谷

出身校 早稲田大学

身長:173㎝

血液型:B型

職業:タレント 弁護士 元政治家 元大阪市長(第19代) 前大阪府知事(民選第17代)

家族構成;妻、7人の子供、犬のテンちゃん

好きな食べ物はシャコの握り、カレーライス、ラーメン、酢豚と庶民的で、お酒も大好きでよく嗜みます。

「スリラーは何百回、何千回テープが擦り切れるまで聞いた」という位のマイケルジャクソンファンです。

子供が周りで騒いでいても読書が出来ます

現在は大阪府の豊中にある4LDKのマンションに住んでいて、母親も同じマンションに住んでいます。

橋下徹の経歴と出身地

誕生から小学校まで

昔からずっと大阪なのかと思いきや意外や意外、出身地は東京都渋谷区で、幡ヶ谷の6号坂通り商店街近くのアパートで幼少期を過ごしました。

幡ヶ谷6号通り商店街は果物屋や電気屋、花屋があるような昔ながらの商店街で、近所でも大いに可愛がれていました。

当時住んでいた家も路地に面して2階に上がる狭く急な階段があって、3階はその奥から上がるような構造になっている様な家で決して恵まれた環境ではない所でした。

渋谷区幡ヶ谷時代の小学校は明らかにされていませんが、6号通り商店街に住んでいたので、渋谷区中幡小学校西原小学校の可能性が高いと思われます。

学校:中幡小学校 住所:東京都渋谷区幡ケ谷3丁目49−1

学校:西原小学校 住所:東京都渋谷区西原2丁目22−1

物心ついた頃には両親が離婚しており、母子家庭の長男として、四つ下の妹を含めた三人家族で育った。

橋下が小学2年生の時、暴力団組員の父親が自殺、母親が苦労して家計を支えました。

7月9日大阪府議会本会議一般質問で女性府議と橋下徹知事の間で次のやり取りがあった。
質疑「知事は小さいときに絵本を読んでもらったことはありましたか」
答弁「私の母は夜も昼も仕事をしていたので、読んでもらったことはありません」

引用元:「私の母は夜も昼も仕事をしていた・・・」橋下徹知事https://blog.goo.ne.jp/

最も手が掛かる時期に母親1人に育ててもらい、橋下徹さん自身も「母子家庭の厳しさは、この私自身がよくわかっています」と述べている通り、経済面、環境面共に大変である事を理解しております。

また母親から「妹をいじめるな」「目上の人を敬え」「人を傷つけるな」の3つの約束を交わしていました。

激動の幼少時代でも大きく道を反れなかったのも、母親の約束が大きかったのでしょう!

小学5年の頃大阪府吹田市に引っ越し、1年後に大阪市東淀川区に移り住みました。

府営住宅から地元の公立学校に通っていました。

2019年の「あいつ今何してる」の番組で吹田市の千里山にいたと話していましたので、小学校5年生の1年間は千里の小学校に行っていました。千里地区は広く府営住宅だけでも6つあるので、小学校が絞り込むのが少し難しいです。

その後小学校6年生の時に大阪府東淀川区に移りました。ここでは大阪市立啓発小学校に通っています。

名前:大阪市立啓発小学校住所:大阪府大阪市東淀川区東中島4丁目8−38

卒業アルバム写真にも載っているので間違いありません。

大阪の小学校に来てから毎日の様に喧嘩を売られていましたが、当時から身長も高く体も大きかったので、負ける事はなかったとの事でした。引っ越した初日に殴られる様な環境下でしたが、喧嘩をし勝てばトップ、負ければビリという権力争いは後の政界で役にたったと言っていました。

小学校5年生の時から毎日電器カミソリを剃っていく位成長が早かったのが、環境下として荒れていた小、中学校生活においては良かったのかもしれません。

中学校時代~大阪市立中島中学校

1982年4月から大阪市立中島中学校に入学し3年間過ごします。

名前:大阪市立中島中学校住所:大阪府大阪市東淀川区東中島4丁目8−38

当時大阪でも1,2を争う程の荒れた中学校でした。橋下徹さんは中学生からラグビーを始めます。

ラグビーを始めた理由も「一番ワルそうな部に入ったほうが安全だと思ったから」。との事でした。

弱小だったチームで、部員も5人しかいない状況でしたが橋下徹さん自ら他クラブのエースをヘッドハンティングし、最強チームを編成し大阪4位のチームに勝利させました。

中学時代放課後6時までの練習と決められていましたが、夏は明るいしまだまだ出来ると監督と交渉し6時半まで練習を延長させました。当時から正しいと思った事に対してはまっすぐ言う性格でした。

中学校時代には自転車を盗んだ疑いを掛けられ警察に補導されてしまいます。

「警察で、友達のことをしゃべらなかったら『しゃべれ!』って名簿みたいなんで背中たたかれて、これが警察かと。警察は暴力は絶対しないなんて言ってますけど、殴って吐かしてんだろうっていうのは、身にしみて体験したんです」

引用元:口達者のハシゲ(4)人権施策 「同和問題は解決していない」https://www.sankei.com/west/news/

この時も仲間を裏切らずにいた橋下徹さんには友達からも厚い信頼を置かれる様になり、警察を出てきた橋下さんを仲間が温かく迎えてくれた事を卒業文集でも嬉しく書いていました。

また中学時代から頭の良かった橋下徹さんは言葉で自分を上手く表現出来ない「ワル」の代弁者となり、彼らの怒りや悩みを聞きだし学校側との交渉を行っていました。教師からも当時「橋下塾」と呼ばれ、当時の担任教諭も

「論理立ててものを述べる交渉術は当時から卓越しており、教師からみても、こちらが見透かされているような怖さがあった」

引用元:口達者のハシゲ(1)転校生が選んだ道 「スネ夫」から「代弁者」にhttps://www.sankei.com/west/news/

と話している通り、将来の弁護士、政治家は中学生時代から導かれていた道だったのだと感じました。

橋下徹さん自身も「僕の人格を作ってくれたところ」が中学時代の大阪東淀川区での生活でした。と話しているので

思い出深い中学時代だったのだと思います。

高校時代~北野高校

橋下徹さんは1985年から大阪府立北野高等学校に入学します。

名前:大阪府立北野高校 住所:大阪府大阪市淀川区新北野2丁目5−13

北野高校は大阪府でもトップクラスの難関校で偏差値76京都大学、東京大学に行く人が行く学校です。

中学時代にラグビーをしながら、猛勉強し2か月で偏差値20を上げます。同じ子供の中でも環境によって埋められない差がある事を感じていた橋下徹さんは「どうしても勉強がしたい。勉強が出来る環境にいかなあかんねん。」と強く思い入学しました。

高校時代もラグビー部に入り、高校3年生の時には47年ぶりに母校を全国大会の花園へ導きました。

全国大会では1,2回戦を突破し3回戦で強豪校京都の伏見工業に12-16の僅差で敗れてしまいました。

MBS「戦え!スポーツ内閣 2019年末スペシャル」で当時の敗戦してしまった理由を話していました。

高校時代はチームメイトと練習でランニングしながら、試合でこうなったらこうするといった共有をチームメイト全員で行っていました。それがビックリする位、見事にチームメイト全員で共有出来過ぎていました。

それが裏目になり最後逆転トライを奪われてしまった時は、いつもの共有と違う行動を相手にされてしまい負けてしまったという話でしたが、未だにチームメイトとは飲み会でも熱くこの大会に関して話す程仲の良い関係です。

当時高校日本代表候補にも上がった位の実力がありました。

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また高校在学中に、日本テレビの「全国高等学校クイズ選手権」にも出場します。地方予選で敗退してしまいましたが、放送には映っていました。

 

高校時代のあだ名は「ハシゲ」で、同級生には自民党前衆議院議員の川条志嘉NHKアナウンサーの藤井彩子がいます。

後にご結婚される典子さんとも高校の同級生でした。当時は親友の彼女でしたので、付き合ってはいませんでしたが橋下徹さんの片思いでした。

その他バンドをやっていて学園祭やライブハウスで演奏していました。

高校時代はラグビーやバンド等を中心に行っていたので、偏差値76の学力優秀校の中では成績は最下位レベルでした。

大学受験は早稲田大学を2学部受験するも失敗し、浪人生となってしまいました。1年の浪人生活を行い、私立単願で早稲田大学に入学します。

大学時代~早稲田大学政治経済学部政治経済学科

1989年4月に早稲田大学政治経済学部政治経済学科に入学します。

名前:早稲田大学政治経済学部 住所:東京都新宿区戸塚町1-104

早稲田大学政治経済学部は偏差値70の超難関校です。

早稲田大学では1年留年してしまし5年間在籍しましたが、在学中に司法試験に合格します。大学1年の時はほとんど講義に行かずに留年が決まってしまいました。

大学時代の事件

大学2年生の時に皮ジャンの卸売りを学生ビジネスで始めました。中古の革ジャンにロウを塗り再販する為1着当たりの利益は7万~8万円になり美味しいビジネスでしたが、取引業者から200万円の不渡り手形をつかまされてしまいました。

そこから橋下徹さんらしい諦めない姿勢で商法を勉強し、取引先を相手に自ら訴訟も起こしました。

その後法律の面白さに気付き、司法試験に向けて猛勉強の日々を過ごします。高校時代は勉強している姿を他人に見せなかったのですが、司法試験勉強当時の様子を産経WESTではこう話していました。

「自分で腹をかっ裂いて内臓をえぐり出すぐらいに猛勉強した。寝ても覚めても、トイレに行くときでも、法律の本を手にしていた」
引用元:YES MY LOVE(2)「青春の門」の時代 妻に支えられ司法試験勉強https://www.sankei.com/west/news/

学生ビジネスの借金返済の為道路工事のバイトを行ったり、お金がない時は定食屋にふりかけをキープしごはんのみを注文していました。

在学中に司法試験に合格し、1994年春に大学を卒業します。

大学卒業後~現在まで

当時司法試験合格後2年間は司法研修をおこなわなければなりませんでした。

埼玉県和光市にある司法研修所の寮で最初と最後の4か月を過ごし、それ以外は実務研修に出向きます。

この寮は部外者立ち入り禁止でした。大学時代から同棲していた典子さんとは結婚を前提にして付き合いと堂々と紹介していましたが、管理人がくると息を潜めていた場面が度々ありました。

修習生には月収20万円位出ていましたが、とにかく早く社会に出たかった橋下徹さんは、真面目に学ぶ修習生の中半分位サボっていて、同期に「なんかいい事件紹介して下さいよ」や「どうやったら良い仕事つかめますかねえ」と具体的な将来像を描いて話していた唯一の人物でした。

その後2年間の司法修習で法曹資格を獲得し、1997年に大阪弁護士会に弁護士登録し、大阪市内にある樺島法律事務所に10ヵ月在籍しますが、その後すぐ独立し弁護士2年目の1998年大阪市内に「橋下綜合法律事務所」を設立します。

示談交渉による解決を看板にする。飛び込み営業なども行い顧客を集めます。

2003年3月から行列のできる法律相談所でタレント弁護士としてデビューし、2008年2月6日の大阪府知事に39歳で就任し、維新の会で旋風を巻き起こし将来の総理大臣候補まで登りあがります。

2015年に大阪都構想の住民投票で否決となり宣言通り引退します。

その後また再度、爆笑問題で有名な芸能事務所タイタンと業務提携し、自身のタレントとしてのマネージメントを委託し現在もご意見番として発言に注目され続けています。

橋下徹の経歴や出身地を調査!大学時代の事件がキッカケで弁護士に!まとめ

幼少から社会人になるまでだけでも様々な事があり、決して裕福とは言えない環境で育ってきた橋下徹さんだからこそ、庶民の気持ちが分かる政治家として支持されているのだと思います。

今後また政界に復帰し、内閣総理大臣になる日を楽しみにして応援しています!

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